第02話~家族について~その②
子供たちのこと…
私には4人の子供がおり、21歳の長男を筆頭に、19歳、17歳と三人の息子の下に年に離れた末っ子のフミコがいる。三人の息子たちに対しては、すでに私にできる子育ての全てをやりきった達成感があった。
特筆すべきは、長男ケンイチと次男シンイチが、高校卒業後すぐにそれぞれイギリス、ドイツへと留学したことだった。
彼らは既に、中学校に入学するときには高校卒業後の進路を海外留学と決めていた。夫も私も、そのことについては、むしろ世界を知らないまま日本の大学生になることに、より強い危機感を感じていたので大賛成であり、この時期に海外を体験する機会の重要性を常に語っていた。そして、彼らは迷うことなく飛び立った。それぞれ一年足らずではあったが、「外の国での生活を体験することが、これほどまでに人間を成長させるのか!」と、それは、我が息子のことながら衝撃に近い発見だった。外から日本という国を見ること、様々な民族がごっちゃに生きる世界という現場の実際を肌で経験することがどれほど価値のあることかを、二人の息子の変化から学んだ。私も今行かなければ機会を逃してしまう!と痛切に感じた。そしてフミコを連れての海外留学の決意を伝えた。
彼らは口を揃えていった。「行くべきだ!」
そして、問題は、当時高校2年生の三男カンイチだ。サッカー部の主将も務めている。私が渡航することによって最も大きな環境の変化を強いられるのは、間違いなくカンイチであったからだ。まず、夫とふたりだけの生活を余儀なくされ、ほぼ一年間は、必然として毎日のお弁当、洗濯は全て自分でやらなければならない。彼は毎日、お弁当以外に3つのおにぎりを持って行く。
今回の渡航にあたってのクリアしなければならない最低必須条件が二つ。一つはフミコ自身が留学を受け入れること、残りの一つは、この三男坊カンイチが部活をやりながらこの自炊生活を承諾してくれるか?だった。
だから私はNZ行きの決意を、実は一番にカンイチに話していた。カンイチがOKしてくれなかったら最低一年は延期することを覚悟していた。しかし、彼は言った。「行ったほうがいい!」
彼の快諾というか、むしろ積極的に応援してくれる気持ちが伝わって有り難かった。私の気持ちは固まった。
そして、私の道連れ?となる小学5年生のフミコ。
彼女は彼女で、5年目となっていた日本の小学校に、言葉では言い表しにくい「物足りなさ」を感じていた。学校生活のほぼ全てが中途半端であったためだろう。けじめがなくメリハリのない学校生活そのものも、勉強も友達関係にも、なにもかも全力投球のあとにしか味わえない感覚、感情というものがない日々だったのだろう。
日本でしか味わうことのない、次元の低い、この年齢の女の子たちの人間関係にもうんざりしていた様子だった。年の離れた末っ子で、いつも誰かが守ってくれている環境にいた甘えん坊で泣き虫なフミコでさえ、外国の学校に通うという未知のチャレンジに賭けてみる気になったのは、ある意味日本の教育の堕落のお陰かもしれない。
母親の途方もない計画に、彼女も言った。「NZ、行ってみたい!」
3人の息子たちは、それぞれが自分だけが持つ個性と積み上げた経験、お世辞にも完璧とは言えない親に育てられる中で学んできたこと、清濁併せて全てを受け入れ、解釈し、お蔭で年齢よりははるかに成熟度の高い青年となってくれた、と思っている。「自分の人生は自分のもの」という当たり前の厳しさも、自立心も、だからこそ何にでも挑戦できるエネルギーも、年齢以上に確実に見出してくれていると思えた。その時点で、私の母親としての役割はひとつ完全に終了したと思えた。あとは末っ子のフミコひとり。。。
しかし、この時点で私の決意は、子供たちからの4つの「Yes!」によって、確実に 「Go !」となった。
環境はまさに今、整った。そう感じていた。