第03話~渡航決心からNZ入国までの半年間~その①
とにかく「行く!」と決めた私は、フミコの学校をどうやって選べばよいのかをまず考えた。そして当たり前のようにPCに向かう。
これが20年前の話だったら一体どうしていただろう?
当時、自ら選択して海外に渡るなんてケースは、ごく限られた恵まれた環境の人か、よほどの根性の持ち主、海外脱出の強い意志を持った人に限られた選択だったのだろうと思う。それが・・・たったの十数年余りの間に驚異の発展を遂げた通信環境によって、或いは世界のボーダレス化と呼ぶべきか、とにかくこれほどまでに手軽に世界中の情報を得ることができるとは!よって極東の島国、日本の、しかも私のような無能なおばさんまでもが、その気さえあればいつだって海を越えて学んだり生活するという選択が、その情報の入手とともにかなり身近なものになった。
「NZ 留学 小学校 」などで検索開始!次々とエージェントやらブログが飛び込んでくる。それにしても何を基準に決めたらよいのかもまだ明確でなかった私は、こういう場合、直に話すのが一番と信じていたので、何社かの代理店とコンタクトをとり始めた。メールで詳しく紹介してくださる会社もあれば、電話ですぐにコンタクトできた会社もあった。そこからまず、大きな括りとして北島か南島か、オークランド、ウエリントン、クライストチャーチなど、都市はどこがよいのか、具体的な地名、学校名、学費などの情報が次第に具体的な形でみえてきた。NZ独特の学校評価制度がポイントで公になっていることも初めて知った。エリアではアジア、特に韓国中国人が多い地区や、マオリや南太平洋諸島出身の方が多い地区など、少しずつではあるがわかってきた。しかしどれも決定的な情報とは言えず、何を基準に学校を選定したらよいのか決めあぐねていた。
そんなこんなで数日間PCと格闘しつつ、一方で図書館やら本屋での情報収集もしながら、実は頼みの綱にしていたある方に会うためのアポイントの日を待っていた。その方は当時、私の住んでいた家の近くで完全な有機栽培の季節の野菜を作って、知り合いの方だけにわずかな金額で分けて下さる小山さん(仮名)という、とっても気さくな女性の娘さんのひとみさん(仮名)だ。彼女は日本の大学を卒業後、ワーキングホリデーでNZに入り、その後も現地で仕事を持ち、住み続けて、結局kiwi(ニュージーランド人の俗称)の今のご主人と知り合った。ご主人は警察官だったが辞めて、今、日本で学校の英語教師をしているという。
ちょうど私がNZ行きを決意した時、小山さんの娘さんのことがぱっと頭に浮かび、すぐに小山さんに電話をした。すると夏休みにご家族で帰省するという。なんて素晴らしいタイミングなのか!
私はPCや図書館で集めた情報をもって、早速ひとみさんに会いに行った。
一時間ほど、私は基本的に聞いておきたいこと、ほとんどが素朴な疑問の数々だったが、メモを片手にお話を伺った。Kiwiのご主人も一緒にアドバイスを下さったのでそのご意見を参考に、この時点で、雰囲気としてはオークランドが良いのではないかという大雑把な絞りは出来たと思う。少しずつ、ほんとにゆっくりとではあったが、ぼやけていたイメージが焦点を絞るように見えてくるような気持ちで小山さん宅を後にした。