移住コラム第2回:進まない移住計画

帰国してからはそれまでと全く違う分野のプロジェクトを担当しそれはそれで新鮮で面白い経験になりましたが、以前のように仕事で英語を使うこと日本人以外と仕事をする機会はほとんどなくなりました。2年、3年とその状態が続くと、徐々に『このままだと何もチャレンジしない人生のまま終わってしまう』という不安が大きくなってきます。最初の会社はIT業界の中では比較的海外案件のチャンスが多い会社でしたが、それでも所詮国内企業なので商売相手は日系の顧客がほとんど。随分と時間がかかりましたが、この頃やっと『ここにいても国際的な舞台でチャレンジすることはできない』という危機感を抱き始めます。

また、特に移住のために狙ったわけではないんですが、ひょんなことからこの時期に購入していたマンションを売却することになり「」に縛られる理由がなくなりました。

 

こういった背景があり、2008年の秋に現状打開のため環境を変えることにしました。人生初めての転職です。

転職先は外資系の投資ファンドでした。業務部門は日本人も多かったですが、IT部門はさすがに国際色豊かでボスはアメリカ人、同僚はかなりの割合インド人(ITでは結構普通です)といった環境。英語でのミーティング、英語でのドキュメント作成も普通になります。度胸があればこんなモラトリアム取る必要なく日本を飛び出せばよかったんですが、この時はまだ日本人が全くいない環境でやっていく自信がなかったので慣らし運転のようなつもりでした。

 

同時に移民の手段を真剣に調べ始めます。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドという技能移民にポイント制を採用している国にターゲットを絞りました。国によってポイント付与の仕方は異なりますが、どの国でも申請するための最低ポイントはギリギリ満たしていました。ただ、カナダは当時海外からその点数で永住権を申請しても早くて4、5年かかると言われていて長すぎるのでパス、オーストラリアは英語の成果物を公的機関に提出して職歴を認可してもらうところがハードル高すぎてパス、ということで、一番可能性の高そうなニュージーランドの永住権の申請(EOI)を出してみることにしました。

 

ニュージーランドの技能移民永住権申請は140ポイントあると無条件でピックアップされ、すぐに本審査が始まります。当時38歳だった僕のポイントは105ポイント(100ポイントあれば申請は可能)、2週間毎に行われるセレクションでピックアップポイントが相当下がってこない限りはずっとプールされたままです。致命的だったのは職歴と学歴が一致していない点でした。前回自己紹介でも書きましたが僕は経済学部(文系)出身で、仕事はITです。ITの多くの職種は自分のものも含めてニュージーランドで不足しているジョブリストに載っているのですが、コンピュータ・サイエンス系の学部の学位がないと認められないボーナスポイントがもらえなかったんです。逆に言うと、今IT業界で十分な職歴があり大学で情報工学など関係のある分野を専攻していた人は日本にいながらにして永住権を取得できるチャンスがかなり高くなります。ただし、IELTSという英語力テストのオーバーオール・バンドスコアが6.5以上という高いハードルはありますが。

 

もう一つ、どの国でも現地企業からジョブオファーがあれば大量のポイントをもらえるので、もしそういうコネクションがあったり海外からの応募で採用にこぎつけられる人であればニュージーランドの永住権申請だと140ポイントはほとんどの場合余裕で超えるでしょう。でも、相当の特殊技能でない限り現地企業がビザもない外国人にジョブオファーを出す可能性は限りなく低いと思われます。「日本にいながらにして永住権取得」は僕の場合宝くじを当てるくらい難しいものでした。実際2回EOIを申請してみましたが、一度ピックアップが110ポイントまで下がることがあったものの、どちらも6ヶ月のプール期間ピックアプされることなく過ぎて無効になってしまいました。

 

日本で収入を確保しながら永住権を手にするという甘すぎる道が塞がれたことがわかってきた2010年9月、縁があって2回目の転職をします。今度はヨーロッパ系のITベンダーでプロジェクトはマレーシア(顧客は大手の邦銀)でした。このプロジェクトは非常にタフで、前職に輪をかけて多国籍だったチームを楽しむ余裕もなく、途中うつ病になるかと真剣に思ったくらい苦労しました。2011年は年初からほとんどずっとマレーシア単身常駐してプロジェクトの立て直しに忙殺されており、ニュージーランドの永住権を考える余裕は正直全くなくなりました。

でもそんな最中、もう一度自分と家族の将来を真剣に考えさせてくれた例の「アレ」が起こったんです。

 

(続く)