移住コラム第3回:大きなきっかけ

大きな転機となった「アレ」というのは2011年3月11日に発生した北関東大震災と、それに続く福島第一原発での放射能汚染事故のことです。ニュージーランド永住を長年の目標にしてきたのは事実ですが、今回背中を押してくれたのは確実に放射能汚染からの避難だったのは間違いありません。

あの3・11が発生した時、僕はマレーシアのクアラルンプール(以下KL)に、家族は東京にいました。そして、原発が大きな爆発を起こした翌日の3月15日、滞在先がサービスアパートメントで3人泊ることも可能だったことも幸いして、妻子を3週間ほどKLに呼び寄せました。

うちの妻はこういうことに非常に敏感で、その時から同年9月に帰国するまでの間、延べ3ヶ月くらいはGWやら夏休みやら、挙句は息子を相当な期間学校を休ませてまでKLに来させてるんです。その間、妻とはかなり「今後どうすべきか?」について議論を重ねてきた結果、危険を回避するためにまず日本から脱出する、ということに決めました。

僕は自分で言うのもあれですが、納得できる相当な理屈がないと動かないタイプの人間です。なので、パニックって衝動的に決めてるとか、過激な情報に洗脳されてるとか、そういうことでは決してありません。この状況で確実に言えることは

1) 福島原発の事故処理は未だにコントロール下に置かれていないので依然放射線は漏れ続けていて、いつストップできるか目途が立っていない

2) 政治的な利権が絡み過ぎていて、正確な情報提供、報道が行われていない

3) 前例のない状況なので、今回の放射線による人体(特に子供)への中長期の悪影響は予測不能

つまり「東京に10年家族と暮らしても危険ではない」と言える確率が僕の許容できる範囲を超えてしまっていたんです。

人生、何をしてもリスクがなくなることってないわけで、例えば飛行機に乗るにしても墜落して死んでしまう確率は0ではありません。でも、僕は自分が乗っている飛行機が落ちる確率は極めて低い(0.0001%くらい?)と考えているので、飛行機には乗ります。では、もし飛行機が墜落する確率が1%くらいだと思ってたとしたら乗るでしょうか? 100分の1の確率とはいえ10回乗ったら確率は10分の1に上昇します。絶対パスでしょうね。

今でもこの原発事故と放射能汚染に関する情報は信憑性が極めて低い状況なので、正直リスクの大きさについては判断できないでいます。でも、仮に10年後に息子が若くして甲状腺にガンを患ったとしても、それが放射線の影響なのかそうでないのかは誰も証明できないでしょう。これはまるで日本政府が行っている壮大な人体実験にモルモットとして一家で参加するようなものですが、モルモットと違うのは実験に参加するかしないかは選択できます。将来自分や家族の健康が侵された時、「これはアレの影響なの?もしあの時逃げてたら違う結果になったの?」と答えの出ない悩みを抱えて後悔するのだけは嫌だったんです。

妻がガイガーカウンターを買ってたので部屋の中(目黒区です)や外の数値とか見てますが、明らかに自然で浴びる放射線以上の量で常に囲まれているのですから、その値が政府が都合に合わせてコロコロ変える基準値の上か下かは関係なく、悪影響がないと100%に近い確率で断言できないのであればリスク回避のために日本脱出、というのが妻と一緒に出した結論でした。

このリスクに関する考え方は人それぞれなので、事故現場からの距離に関係なく今住んでいる場所に留まることを決めた方、逆に福島産の食物を積極的に買って風評被害で困っている人達を応援しよう!と決断した方の意思は尊重しますし、このコラムを通してスタンスの変更を強要するつもりは毛頭ありません。

ただ、もし危険なことは薄々分かっているけど何もできないから「都合の悪い情報は見なかった・聞かなかったということで」と思考停止に陥っているのであれば、自分や家族の健康に関わることなのでちゃんと楽観論・悲観論両方の情報に対するアンテナを張り続けて、適切な判断は自分自身の責任で行う、ということを今一度まじめに考えていただきたいと思います。

ということでこれが家族でのNZ移住を決意させた一番大きな要因でしたが、まだ最初は「妻子だけNZに送って自分は仕送りを続ける」とか「会社にシンガポールへの転籍を認めてもらってそこに引っ越す」とか、軌道に乗って自信もついてきた前職での仕事を続けるというオプションも有力でした。

 

(続く)